ヒステリックプルーン

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病的なほどに鉄分やユーモアを含んでいます

小説『ジョーカー・ゲーム』、キーワードは「とらわれない」。

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こんにちは。

今回は柳広司の小説・ジョーカーゲームについて、読後の新鮮な気持ちで記事を書いてみようと思う。

 

・目次

 

ネタバレNGの方は読後感まで読んで、読後にまた感想を読むのが至高の楽しみ方だと思われる。

 

 

あらすじ

結城中佐の発案で陸軍内に極秘裏に設立されたスパイ養成学校‟D機関”。

「死ぬな、殺すな、とらわれるな」。

この戒律を若き精鋭たちに叩き込み、軍隊組織の信条を真っ向から否定する‟D機関”の存在は、当然、猛反発を招いた。

だが、頭脳明晰、実行力でも群を抜く結城は、魔術師の如き手さばきで諜報戦の成果を上げてゆく…。

吉川英治文学新人賞日本推理作家協会賞に輝く究極のスパイミステリー。

 

 

読後感

スリル満点のミステリー小説。

 

小説『ジョーカー・ゲーム』は

ジョーカー・ゲーム」、「幽霊」、「ロビンソン」、「魔都」、「XX」の五編からなるが、どれも主人公が違い、別視点から‟D機関”の姿を楽しむことができる。

特に初めの「ジョーカー・ゲーム」は‟D機関”外部の主人公の視点であり、‟D機関”に否定的な観点から物語が始まるのが面白い。

 

読み始めと読み終わった後では読者自身の見え方も変わっているのではないだろうか。

 

舞台は戦時であり(日本史に詳しくないが日清・日露あたり?)、

天皇を崇め皇軍としての組織を形成する日本陸軍や、

アヘンが蔓延る上海の異様な雰囲気など、

現在とはかけ離れた世界を堪能できる点も小説ならではであり素晴らしい。(けっして行きたくはない)

 

 

 

 

感想(ネタバレ有)

スパイは危険な職業である。

内部でしか知り得ない情報を味方に送る仕事は、見つかったときにはどんな目に合うかわからない。

ではなぜスパイになろうという者が現れるのだろうか。

この点が個人的に大きな疑問の一つだった。

 

しかしそれは、

「この任務を果たすことができるのは自分だけだ」

「自分にならこの程度のことはできなければならない」

という、一見尊大ともいえるような自尊心によるものであると描かれていた。

 この部分にハッとさせられた。

 

自尊心だけで辛い訓練、孤独な潜入生活を乗り切ることができるのか。

スパイという職業の特異さ、面白みが垣間見えた気がした。

 

 

また舞台は戦時中、軍隊は天皇の赤子と扱われた時代。

上官の命令は絶対である。

その中でスパイ養成学校‟D機関”の者は、ボスである結城のこの言葉を聞く。

 

「軍人や外交官などという、つまらぬ肩書にとらわれるな」

「そんなものは所詮、後から張り付けた名札にすぎない。

いつでも剥がれ落ちる。

貴様たちに与えられているのは、今この瞬間、目の前にある事実だけだ。

目の前の事実以外の何ものかにとらわれた瞬間、即ちそれは貴様たちの弱点となる」

 

あらすじにもあった、この「とらわれるな」という一言がスパイという立場をよく表している。

肩書にとらわれず事実だけを信じること。

これは現代社会で情報を扱う上でも重要だと感じた。

 

ホリ〇モンが言っていたから信じる。

センスあるブログ名が思いつかない僕たち?何それ。知らないしちょっとダサいから信じない。

 

ではなく、自分で正しいと判断したものを正しいと認識できるようになるべきだ、と思った。

 

 

キャッチコピー

僭越ながら自分なりにキャッチコピーを書いてみた。

本の帯とかでよく見るアレである。

 (将来的にはその仕事が回ってくるようになるのが理想である)

 

 

「ジョーカーは、とらわれない」

 

これは肩書にとらわれる、敵軍にとらわれるの二重の意味である。

私の本に帯はついていなかったため被っていたら申し訳ない。(杞憂?)

 

 

まだまだ帯書き人への道のりは長そう。